わけがない

日々の愚痴やゲーム、アニメについて適当にしゃべる。いかに僕が駄目な奴かという記録をここに残す。

ちょっと感想。 ※ネタバレ注意

 去年のクリスマスに楽園追放を観た。主役機体であるアーハンの戦闘シーンは毎回見応えがあり、視覚的に満足のいくものであった。宇宙空間での板野サーカスや旧市街地の白兵戦など、「王道」がうまくフルCGに落とし込まれていて、アーマードコア好きの僕としては観ていて気持ちが良かった。

 

 ストーリーは少し物足りなさを感じた。アンジェラの心境変化の描写が不足している気がする。したがって後半突然別人に入れ替わってしまったかのような感覚になる。あとは地球の肉体のある人間と、「楽園」とされるディーヴァの電子化された人間の対比が足りない気がした。その土台があって始めて「楽園追放」という言葉が生きてくるんじゃないかと。

 

 それでも2時間弱の時間でうまくまとめたとは思う。SFのとっかかりとしては見応えのあるアニメ映画なので、興味のある方でまだ観てない人は是非観てほしい。

 

 

 

 

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 先日、フィリップ・K・ディックSF小説アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』を購入した。僕は普段、本を読まない。本を読むことは好きで、幼い頃は小説をよく読んでいたのだが、最近は本を読むという行為が自分の中で優先順位が低く設定されているせいか、ほとんど読んでいなかった。しかし去年、楽園追放を観た影響からか、SFについてもっと知りたいという気持ちが僕の中に密かに芽生えていた。そこで王道中の王道である、このSF小説アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』をまずは読んでみるかと思い立ったわけである。

 

 3日ほど使ってこの小説を読み終えた。率直な感想としては、シンプルなストーリーでとても読みやすい。それでいてテーマは奥が深く、考えさせる作品だった。テンプレートみたいな感想だが本当にこのとおりで、さすがに有名なだけはあった。

 

 この作品はタイトルの通り、「人間とアンドロイドの違いは何か」ということをメインテーマとしている。しかし、二者を単純に対比しているわけではない。作中では二者を見分けるためのテストが登場する。主人公が使うテストは感情移入度を調べるものである。この世界のアンドロイドは人間と比べて、他者に対する感情移入の度合が低いとされていた。したがって、この感情移入度の変化を専用の機器を用いて計測することで二者を判別することができた。作中ではフォークト=カンプフ検査法という名称で呼ばれる。

 

 主人公はこのテストを駆使してアンドロイドの正体を暴いていく。しかしその過程で、人間を愛し、自らを人間に近づけようとするアンドロイドや、アンドロイドを殺すことに躊躇がない賞金稼ぎの同業者、心の安定を機械に委ね、自分を気にかけてくれない妻などの人物を目にし、人間とアンドロイドの境界線に疑問を抱くようになる。そして自分がアンドロイドに感情移入していることに気付き、自分が人間なのかアンドロイドなのかさえも疑問に思うようになる。

 

 感情移入度という、人間とアンドロイドの形式的な違いで二者を区別していた主人公が、人間とは何か、アンドロイドは何か、というそれぞれの本質について考えるようになる。

 

 人間を愛する人間、アンドロイドを愛する人間、人間を愛するアンドロイド、アンドロイドを愛するアンドロイド。これらの例に出会うことで、最終的に主人公は人間もアンドロイドも他者を愛することができるという結論に辿り着く。


 人間とアンドロイドの対比について簡潔に書いてみた。だいぶ省略してあるので、事の詳細や主人公の賞金稼ぎの顛末が気になる人は是非読んでみてほしい。 人間と機械、人間とクローンなどこの種の対立構造は他の作品でもよく見られるので、本書と比較してみるのも面白いだろう。

 

 

 うーむあらすじの紹介みたいになってしまった。難しいことが書けないからレビューは苦手だ。こことここが同じとか違うとか比較するのは容易だが、一つの物を掘り下げるというのは難しい。君何学部に所属してるんだとかそういうことは聞かないでほしい。

 

 


 最初に述べたように、楽園追放では地球の人間とディーヴァの電子化された次世代の人間の対比が描かれている。(ディンゴとアンジェラ、またはディーヴァの高官)それとは別にもう一つ対比がある。それは地球の人間と野良AIの対比だ。(ディンゴとフロンティアセッター)フロンティアセッターは途方もない年月をかけて人間とほぼ同等の知能を得たという設定である。


 ディーヴァの高官はフロンティアセッターの捜査のため、案内役ディンゴのもとにディーヴァの捜査官であるアンジェラを送り出す。これは言わばディーヴァと地球人が共存関係にあるということである。しかしアンジェラの言葉によれば、ディーヴァの人々にとって地球人は劣った存在であり、ディーヴァの脅威にはなり得ないという意識がその根底にはあった。したがって完全な共存関係にあるとは言えない。


 一方ディーヴァの高官たちはフロンティアセッターをディーヴァの脅威だと主張する。 アンジェラの、フロンティアセッターは高度なAIで友好的でありディーヴァには無害であるという説得も聞き入れず、むしろ高度なAIを持っているからこそ危険だとして排除命令を下す。ディーヴァの高官にとって地球人と野良AIは、ディーヴァの平穏を脅かし得るかどうかという違いしかない。(形式的な対比)


 アンジェラはこの説得によって捜査官の地位から更迭され、メモリ(彼女を構成する)を凍結されそうになる。そこにフロンティアセッターがディーヴァをハッキングして助けに来る。なぜこんなことをするのかというアンジェラの問いに対してフロンティアセッターは自分を理解してくれた仁義だと答える。この「仁義」という言葉はディンゴの受け売りなのだが、ここにフロンティアセッターの持つ人間性というものが垣間見える。
 すんでのところで凍結から逃れたアンジェラは、ディーヴァから新型アーハンを盗み出し、排除命令が下されたフロンティアセッターを助けるため地球に降下する。彼女がフロンティアセッターを助けようとする意志、これも「仁義」からくるものだった。


 このようにして、ディンゴ(人間)とアンジェラ(電子化された人間)、そしてフロンティアセッター(野良AI)が「仁義」というワードで一つになり、協力してディーヴァの追っ手を撃退する。

 「仁義」とは人間性の象徴であり、純粋な人間でなくともそれを持ちうるということがこの作品で描かれていると感じた。この点で「楽園追放」と「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」は共通しているのではないかと。

 


 あるシーンで、ディンゴは「好きという感情はAIにとってどんな感覚なのか」という問いをフロンティアセッターにかける。それに対してフロンティアセッターは「 理解するには長い時間を要したが、ノイズでありつつもプロセッサーの働きを早めるものが『好き』という感情だ」と答える。続けて「それによって自我に気付くきっかけを得た」と説明する 。この表現は個人的に面白いと思った。

 


長くなってしまったので、ここらで終わりにしよう。

 

 

 

 

途切れたパルス読みとって
ノイズの向こうにいる
自分と逢うまで
もう、迷わない

        ELISA connect EFP「EONIIAN -イオニアン-」より

 

オタクでゎなぃ。

 先日、秋葉原に行ってきた。今年最初の歩行者天国。天気もよく、普段より人が多い気がした。そういえば2日にも神田明神へ初詣に行っていた。ということは今年は既に2回も秋葉原に行ったことになる。秋葉原はお金がなくてもエッチな本や新しいグッズが見れるから好きだ。

 

 

 2日の神田明神

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 混んでいる。

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 いい天気だ。

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 夕方の男坂

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 夕方の屋台。

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 いろんなイラストレーターの絵馬が見れたのでなかなか楽しかった。(小並感)

 

 

 11日の歩行者天国。この日も快晴だった。

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 とある目的がありボークスへ。

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  ここだ。

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 ボークス2階でヤマノススメフェアをやっているのだ。

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 設定画。

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 ひなたちゃん。かわいい。

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 登場するザックは実在するそうだが売り切れ続出らしい。

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 あおいちゃ。

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 ここな&かえでちゃ。

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 以上。ヤマノススメよ永遠なれ。※謎の鏡のせいでカメラを構えてる僕が写ってしまっているが気にしないでほしい。

 

 ボークスの後は適当にメロブやとらをぶらぶらして、東京カレー屋名店会で好物のバターチキンカレーを食べて帰った。

 

 

 今期のアニメは何を観ようか。今のところ僕の中では幸福グラフィティが一番キテいる。アルドノア・ゼロやジョジョ、デュラララなども続きが気になるので観ることになるだろう。他にもエッチなアニメがあれば観るので教えてほしい。(新妹魔王か?)

 

 前回の記事でアニメのことを書くのを忘れていたのだが、特に語るようなこともなかった。強いて言えばヤマノススメのひなたちゃんが好き、というくらいだろうか。ヤマノススメは早くサードシーズンをやってほしい。でないと僕の命が持たない。

 あまり文量は書いてないが今回はここらへんで締めたいと思う。サラダバー。

 

 

 

 

 いつも通りの あたりまえの日々を

 いつまで こんな風に 過ごせるんだろ?

 そんなこと 考えた 瞬間から

 おわりは はじまりかけちゃってるのかな?

 

                ーClaris 「border」よりー

 

 つらい。

まいった。

 始めたばかりのブログには何を書けばいいのだろうか。やはり自己紹介からするべきか。このブログがどのようなジャンルに属するかを読者(いるのだろうか)に理解していただくためにも最低限の自己紹介はしておきたい。


 僕は現在大学4年生で、つい先月に卒業論文を提出し終わった身である。通常の大学生ならこの時期は、単位を取得し終わり4月から始まる就職の準備を進めながら、バイトをしたり遊んだりする比較的自由な期間(僕の印象)といえるが、もちろん僕はそうではない。


 去年僕は予備校に通いながら公務員試験を受けていた。公務員試験組は僕の大学でも一定数いてそこそこ合格者もいるみたいだった。実際友人の中にも晴れて公務員試験に合格した人もいる。本当にめでたい。一方僕は予備校に行っているという安心感(逆の意味でめでたい)から真剣に勉強をしなかった。したがって4つほど受けた公務員試験に全部落ちるという必然とも言える結果になった。これは完全に将来のことをよく考えていなかった僕の落ち度である。自業自得。ここで悔しいからもう一年勉強し直して公務員に絶対に受かってやる!と思うのが成功するタイプの人間だと思われるのだが、僕ははっきり言えばリスクを嫌い、楽に流れるようなダメなタイプの人間なので公務員試験を諦めてしまった。そして現在、適当に民間を受けてどこかに引っ掛かればいいやという思いを抱きながら堕落した生活を送っているわけである。


 長くなってしまったが、要するに現在の僕は無い内定の大学4年生である。こういうことはあまり書かない方がいいのだろうが、僕がいかにダメな人間かを知っていただくためにここに記すことにした。


 暗い話になってしまった。次はゲーム・アニメの話をしよう。


 僕が初めてゲームというものに触れたのは小学生低学年の頃で、ポケモンの赤と緑色のゲームボーイを親に買ってもらったのがきっかけだった。その1年か2年後にポケモンの金銀が発売し、64やポケモンの金を買ってもらった僕はゲームにドハマリしていった。放課後には友人を家に呼んだり呼ばれたりしてスマッシュブラザーズをやるのが常だった。おそらくその頃から既に僕はゲームという沼に両足を突っ込んでいたのである。


 高学年になって、中学受験や転校などがあり図らずもゲームとは一定の距離を置いていたのだが、転校後中学2年の時に僕のゲーム熱は再燃することになる。


モンスターハンターポーダブル。


 当時は現在と比較するとモンスターハンターというブランドの知名度はあまり大きいものではなかったが、それでも初代モンスターハンターモンスターハンターGモンスターハンター2と続く系譜によりモンスターハンターシリーズの評判は当時のゲームタイトルの中でも頭ひとつ抜きん出ていた。

 僕がそれに初めて触れたのは当時発売したばかりのDSLiteを買いに行った際である。友人とDSLiteを早朝から並んで買いに行った僕は待機列でその友人が持っていたPSPを貸してもらうのだが、その時に入っていたソフトがモンスターハンターポーダブルであった。そこで僕は広大で立体的なフィールドや巨大なモンスターたちを目にし、心を奪われた。それまで、ゲームボーイやSP、64やアドバンスなど任天堂のゲームにしか触れてこなかった僕は、プレイステーション特有の立体的で自由度の高い世界に衝撃を覚えた。DSLiteマリオカートを買った僕はしばらくはそれに夢中になって遊んでいたのだが、PSPをやらせてもらった時の衝撃は忘れることができなかった。数ヶ月後、ついに僕はPSPモンスターハンターポーダブルの購入を決意する。


 このような幼少期の経験から、僕はゲームという底無し沼にどっぷりと浸かることになった。ポケモンモンスターハンターは現在でもシリーズが続いているが、それらは僕の両足を掴み、今もより深みへと僕を引きずりこもうとしているのである。


 最近は何をやっているかと言うと、3DSのモンスターハンター4Gとポケットモンスターオメガルビーをプレイしている。PS3も持っていて、デモンズソウルコールオブデューティー、アーマードコアなどのシリーズを中心に遊んでいる。これらのゲームの話題はこのブログの記事内で度々出てくることになるだろう。(晴れてゲームから足を洗うことができたら話は別だが)


 初めからつまらない話になってしまった。要するに知らないゲームのネタは読み飛ばしてやってほしいということである。ツイッターをやっていても思うのだが、興味のない、知らないネタを他人が延々と語っているのを見るのはとても不快だと思うし、僕自信もそう思われてるんじゃないかなーといつも不安を感じているのだ。ひょっとしたら僕はSNSに向いてないのかもしれない。

しまった。

 始めてしまった。

 

 前々から日々の鬱憤を吐き出す場所が欲しいと思っていた。しかしブログサイトにも種類があり、さらにソースコードを理解していないとブログ開設なんてできないという意味不明な先入観からなかなか踏ん切りがつかずにいた。このような日記を書くのも高校の時にやっていたmixi以来であり、日本語が書けるかどうか不安なところもあった。

 

 これを投稿する少し前に、友人がブログを始めたというつぶやきをしているのを目にした。先を越されてしまった。純粋に悔しかった。僕は半ば衝動的にこのはてなブログを開き、午前の5時にこうして最初の記事を書いているわけである。

 

 さて、こうしてブログを始めてしまったからには定期的に更新していかないといけない。ブログを始めようと思った動機には、敬愛するサークルの先輩やツイッターのフォロワーの方がとてもユニークなブログを書かれていることも一つの要因として挙げられるのだが、僕は先輩方のような面白可笑しい文章を書くことは到底できない。また、ネタに溢れた生活を送っているわけでもない。したがっておそらくこのブログに書かれる内容は、ゲーム5割、アニメ3割、日常の愚痴2割といった具合になるだろう。「お前それでいいのか?」

 

 というわけでここでとりあえず最初の投稿は終わりにしたい。このブログのことは後々ツイッターで人のいなさそうな時間帯につぶやくだろう。それではまた。